2011-08-20

伊勢・熊野・高野山を巡る宗教都市見聞録


人類の歴史には絶えず宗教が深く関わってきた。思想や信条が人々の生活様式を規定し、それに伴って街の姿が形成されてきたと言える。事実、世界には様々な宗教都市がある。それは、宗教を中心に形成された街や集落。日本で言えば、神道都市や仏教都市となる。一方、現代の日本人は無宗教であると言われる。ただ、実際には様々な宗教儀式に参加しており、我々は生活空間に溶け込んだ神社や寺院から何らかの形で影響を受けている。すなわち、神道や仏教という宗教が街の形成に影響を与えるというベクトルだけでなく、神社や寺院を内包する街そのものが人の生活に影響を与えるというベクトルもある。ゆえに、都市設計の上で宗教という視点を欠くことはできない。改めて都市設計の見聞を広めたいと、日本の代表的な宗教都市に足を運ぶ旅路についた。


神道の宗教都市と言えば伊勢である。日本の神々の系譜に関心が強く古事記に学ぶ自分には、やはり今もなお興味深い街であることに相違ない。久方振りの参拝となったが、伊勢神宮は以前と変わらず悠然とした面持ちを湛えていた。外宮内宮と参拝した後、多くの観光客で賑わう内宮前おはらい通りを歩くと、次々と魅力的な食事処や特産品店が目に入る。赤福本店で一服、おかげ横丁で散策、夕方には町家風の五十鈴川カフェで極上の景色とネルドリップ抽出の珈琲を堪能する。この参拝と遊楽の組み合わせが、多くの人々を惹き付ける魅力となっている。単に参拝だけでも味気ない。世俗的な遊楽だけでは軸がない。つまり、持続的に宗教都市を活性化し続けるためには、その両輪のバランスが必要なのかもしれない。ここに、人を惹き付ける求心力の考察に基づいた都市設計という着眼点も見えてくる。


伊勢の滞在を経て、向かうは熊野。日本書紀にも記される古の自然崇拝地である。熊野三山へと通ずる熊野古道の伊勢路を行く。かつて人々は自身の再生を願い、聖地を結ぶ祈りの道を歩いたという。美しい竹林に囲まれた松本峠で七里御浜を一望し、浜街道沿いに佇む伊弉冊尊の御陵たる花の窟を経ると、いよいよ新宮に到着する。色彩豊かで開放感ある社殿の熊野速玉大社、538段の石段と巨大な標石をもつ神倉神社を詣でる。霊性に包まれた夜は、本宮町で最も古い歴史をもつ湯の峰温泉で骨休め。つぼ湯で禊を済ませた早朝に、熊野本宮大社を参拝した。数々の神社の趣深さはさることながら、熊野で印象的だったのは、熊野古道沿いに形成される集落群。旧き良き小さな集落ほど味わいがあるが、同時に過疎も進行している。やはり人口減少時代の街づくりが問われている。


伊勢・熊野を経て高野山へ。山麓の極楽橋からケーブルカーで高野山まで上ると、そこに広がるのは標高900mの仏教都市。弘法大師の諡号をもつ空海が約1200年前に開山してより、高野山真言宗の総本山として悠久の歴史を刻み続けている。壇上伽藍と呼ばれる根本道場を中心とした宗教都市には金剛峯寺をはじめ117の寺院が連なり、約半数が宿坊を兼ねる。滞在した宿坊の福智院は美しい庭園や温泉を備え、精進料理とともに静寂なる夜が更けていく。本堂で朝の勤行の後は、奥之院へと通ずる参道へ。樹齢千年を超える杉木立の中に立ち並ぶ20万超の墓石・祈念碑・慰霊碑の数々が参拝者を圧倒する。この仏教都市は、今もなお仏教を中心に街と生活が形成されていた。とりわけ、“参拝する、泊まる、食べる、買う、学ぶ”など、街を活性化する要素の好循環が見逃せない。


伊勢・熊野・高野山を巡り、次第に、ある想念が生まれてきた。宗教とは何か。それは、人が世界を認識するためのOSと言えるのではないか。人は宗教というOSに基づいて世界を認識し、その上で様々なアプリケーションを走らせている。したがって、人々の生活空間というハードはOSに適した形で設計される。これが都市設計。我々日本人は、無意識のうちに神道や仏教というOSをインストールしており、それに準じた生活空間を社会に展開している。ところが、高度経済成長とともにハードの変革のみが先行し、思想や信条の拠り所となるOSを見失いかけてきた。幸いにも日本各地には古来から継承されるハードとOSが残存する。温故知新という言葉に、新たな活路が見え隠れしているように思える。空海の説いた即身成仏の境地とともに、来るべき都市設計を考えてみたい。